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山形地方裁判所米沢支部 昭和49年(ワ)71号 判決 1979年2月28日

原告

石谷昭夫

外一名

右原告両名訴訟代理人

設楽作巳

被告

原正太郎

右訴訟代理人

西海枝信隆

被告

鈴木昇

被告

横山留雄

右被告両名訴訟代理人

沼澤達雄

主文

一  被告原正太郎は、原告石谷昭夫に対し、金九九四万四、〇〇〇円、原告石谷昭子は対し、金九四四万四、〇〇〇円及びこれらに対する昭和四九年九月二四日以降各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告両名の被告鈴木昇、同横山留雄に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告両名に生じた費用の二分の一と被告原正太郎に生じた費用を同被告の負担とし、原告両名に生じたその余の費用と被告鈴木昇、同横山留雄に生じた費用を原告両名の負担とする。

四  この判決は、原告両名勝訴の部分に限り、仮に執行用ることができる。

事実《省略》

理由

一亡彰が、昭和二六年一〇月二六日生で、同四五年三月、山形県立新庄北高校を卒業し、同四六年四月、山形大学工学部繊維工学科に入学し、同四六年四月ころから、被告原正太郎が所有する本件建物の二階東側端六畳間一室を同被告から賃借し下宿していたこと昭和四九年二月二八日、本件建物が焼毀され、亡彰が死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。

二(出火状況等について)

<証拠>を総合すると次のとおり認められる。

1  亡彰は、昭和二六年一〇月二六日、三人きょうだいの長男として生まれ、同四五年三月、山形県立新庄北高校を卒業し、同四六年四月、山形大学工学部繊維工学科に入学し、同四七年四月ころ、右大学の紹介で、被告原正太郎と契約のうえ、同被告が所有する本件建物の二階東側端六畳間一室を同被告から賃借し下宿するに至つた。本件建物二階には、昭和四九年二月二八日当時、亡彰外五名の者が下宿しており、うち五名は亡彰を含めていずれも山形大学工学部の学生であり、一名は私立女子高校の教員であったが、亡彰等の下宿人らは、本件建物の西側に隣接する被告原正太郎の娘の訴外原正子方で食事をするなど同訴外人の世話になつていたが、下宿代(賃料)は被告原正太郎に支払つていた。

2  被告原正太郎は、昭和二九年ころより、原工務店の名称で建築業を営み、住宅建築等を請負つて、設計の仕事をしていた。

被告鈴木昇は、被告原正太郎のもとで大工見習いをし、一時独立したのち、昭和四七年ころより、主として、同被告のもとで、建築面積等に応じた手間賃をもつて、本件建物の階下の作業場などで、同被告の材料を使い、同被告が設計した住宅建築等の下請工事をしていた。

被告横山留雄は、被告鈴木昇の姉の夫であり、昭和四七年ころより、同被告から日給を得て、同被告と共に大工仕事をしていた。

3  本件建物は、被告原正太郎が、昭和四〇年ころないし同四五年ころ建築し、二階居室部は、昭和四八年ころに設けられたもので、山形県米沢市大町一丁目一番八号に所在し、軽量鉄骨長尺カラー鉄板葺二階建外壁角波鉄板モルタル張作業場兼居宅一棟床面積約278.74平方メートルであり、階下は、土間の作業場で、土台柱、床柱、はり材その他の新建材等の建築資材が大量に入れられており、被告鈴木昇等は、同作業場のうち、建築資材のおかれている間の適当な場所で資材の刻みなどの作業をしていた。同作業場の東南角にベニヤ板で仕切り、ベニヤ板製のとびらのついた休憩室(約6.6平方メートル)が設けられ、同休憩室の外側等に建築資材等がたてかけてあつた。

本件建物の東側に二階に通ずるはしご階段があり、本件建物の二階には、南側に五室、西北角に一室があり、北側は建築資材置場となつていて、ベニヤ板や新建材等の資材が相当量おかれ、各室に面した部分は通路として利用されていた。右各室は、東側から西側、さらに北側と並んでおり、順次一号室ないし六号室と呼ばれていたが、一号室、五号室、六号室の各窓の外側部分にはいずれもX型の鉄製アングル(筋交い)が設置されてあつた。

本件建物の東側には、被告原正太郎の従業員である訴外黒田力の居住する家屋があり、右被告方家屋は、本件建物の南方六〇メートル位ないし七〇メートル位のところにあった。

4  被告原正太郎は、昭和四七年ころ、薪ストーブを購入し、同被告の従業員が、本件建物の階下の前記休憩室内に備付け、煙突を設けた。

右ストーブは、通常、本件建物の階下の作業場内で作業中はこれをつけたままとし、主として、右作業場内で作業をする者が暖をとるために利用され、きざみ仕事の残材など、作業現場等から出る木くず等が燃料とされ、その木くず等は通常右休憩室の南西角付近に積まれてあつた。右ストーブの焚き口は、焚いている間、通常は閉扉してあつたが、燃料の残材等が焚き口内に入りきれない長さであつたときには、開扉したままであることもあつた。

右休憩室内には、ドラム缶を半分に切つた容器ややかんに水を入れて右ストーブの上に乗せておくほか、右休憩室や右作業場には他に消火設備、器具はおかれてなく、また、本件火災当時には、ドラム缶で作つた右の容器もおかれてなかった。

5  前記休憩室内のストーブはほぼ連日のように焚かれ、使用されていたが、昭和四九年二月中旬ころ以降、本件建物の階下の作業場内で作業する者なく、右ストーブもこの間使用されないでいたところ、本件火災の前日である同月二七日ころ、被告原正太郎の従業員である訴外黒田力、同管井進、同村山茂三(当時高橋茂三)の三名は、こわれた古襖、古障子等の桟や骨枠等を足で踏み折ったりしたうえ、襖紙や障子紙がついたりしたままの状態で、窓から休憩室内にかなり多量に投げ入れたが、同訴外人らは、これを片付けなかつたため、右の桟等が休憩室内に乱雑に散乱し、ストーブの上にもかぶさつていた。被告原正太郎は、右のように桟等が投げ入れられていることは、休憩室の窓から数本の棒状のものをみて、これを知つていた。

6  被告鈴木昇は、被告横山留雄と共に、約二週間、仙台方面において請負工事に従事していたが、本件火災の前日、被告原正太郎を訪ね、明日から仕事に来る旨のあいさつをしたうえ、昭和四九年二月初旬ころから着工していた被告原正太郎が請負つた訴外渡部某の住宅建築工事のための材料刻み方の作業を行うべく、同月二八日午前八時四五分ころ、被告横山留雄と共に、本件建物の階下の作業場に赴き、前記休憩室に入つた。

被告鈴木昇が、本件建物二階の便所に行っている間、被告横山留雄において、前記のように、古襖や古障子等の桟や骨枠等が右休憩室内に乱雑に散乱していたので、これを同休憩室の南西角付近に押しつけ、ストーブの焚き口から約三〇センチメートルの付近から、幅、高さ各一メートル位、奥行き六〇センチメートル位に山積みして片付けた。被告横山留雄は、襖紙や障子紙のついた右の桟等や周辺に散らかつていた紙くずを手にとつて、前記ストーブの上ぶたをあけて中に入れ、所携のライターで着火し、暖をとりながら、被告鈴木昇と共に、それぞれ、上ぶたや横の焚き口から襖紙や桟等を右ストーブにくべて燃やした。その数分後に、前記の訴外黒田力及び同管井進も休憩室内に入り、雑談しながら暫時暖をとつたが、右訴外管井進も燃料をストーブにくべた。

訴外黒田力、同管井進が被告原正太郎方で作業をすべく退室したのに引続いて、被告鈴木昇、同横山留雄は、相連なつて退室し、右作業場内で作業をはじめようとしたが、被告鈴木昇は、作業に用いる墨つぼの墨水が凍りついていたのでこれを溶かそうと考え、同日午前九時ころ、一人で休憩室に戻り、二、三分間、暖をとりながら、ストーブに古障子の桟等をひとつかみつかんでこれを入れてくべ、墨つぼにやかんの水を注ぐなどしたものの、墨水が容易に溶けなかつたので、溶かすことをあきらめて、同休憩室を出て、右作業場に戻つた。この間、被告横山留雄は、右作業場内で角材を刻んでいた。

このとき、右ストーブの焚き口は開扉されたままであつたが、被告鈴木昇、同横山留雄の両名共にこれに気付かなかつた。

7  右同日、午前九時〇五分ころ、被告横山留雄は、右休憩室内でばりばりと音がするのに気が付き、被告鈴木昇も右休憩室から煙がふき出しているのを発見した。被告横山留雄は、すぐさま右休憩室のとびらを開けてみると、同休憩室の南西角に山積みされてあつた古襖や古障子の桟等が勢いよく燃え、天井に届きそうになって火柱のように燃えていたので、同休憩室内にあつたやかんを手にとり水をかけたが効果なく、被告鈴木昇と共に、「火事だ、逃げろ。」などと叫びながら、洗面器等をもつてきてこれで水をかけようとしたが、火勢が強く、また煙もふき出している状態であつて、もはや全く手がつけられず、被告鈴木昇が消防署に緊急通報した。

またたく間に、右休憩室から二階など本件建物の西側に火がまわり、発煙もはげしく、本件建物全体にいつきに燃え移り、消防署職員らの消火活動の結果、同日午前一一時ころ鎮火したが、右作業場の西側や同作業場内の角材、二階の柱、屋根など一部残つたものの、本件建物は全焼した。

8  本件火災当時、本件建物二階には、一号室に亡彰がいたほか、二号室、四号室、六号室にそれぞれ下宿人である山形大学工学部の学生がいたが、三号室、五号室の下宿人はいずれも不在であつた。火事に気付いた二号室の訴外堀籠良一、四号室の訴外石井寛の両名は、窓から飛び降り、六号室の訴外松本正根は、同室に備付けてあつた避難用ロープを伝つて脱出した。右訴外人らが脱出した際には、一号室、二号室にはすでに火がまわつていて煙であたりが見えない状態であつた。

亡彰は、本件火災直後、被告鈴木昇などが、休憩室の外で、「火事だ。」などと叫んでいたころ、シャツのまま、一号室の窓から姿を見せ、上着様のものを着ようとしているかつこうであつたが、消火中に、本件建物の二階の北端より四メートル位の建築資材置場の床あたりの場所で、両足首を鉄製アングルと建材にはさまれ、逆宙吊り状態で燃死しているのが発見された。

亡彰は、右同日午前九時三〇分ころ、急性一酸化炭素中毒により死亡したものである。

9  亡彰をのぞくその余の本件建物の二階に下宿していた者らは、本件火災後、被告原正太郎から、現金一万円のほか、布団一組、ズボン、シャツ等を受取つたが、それ以上の損害賠償の要求には、右被告は応じなかつた。

10  被告鈴木昇は、米沢簡易裁判所に、重過失失火、重過失致死罪として起訴されたが、同裁判所は、昭和五一年六月三日、過失失火、過失致死罪として認定したうえ、同被告を罰金八万円に処する旨の判決を言渡し、同判決は、控訴なく、確定した。

以上のとおり認められ<証拠判断略>

三(出火原因について)

前記二において認定した事実に<証拠>を加え斟酌すると、本件火災の原因は、前記休憩室内の前記ストーブの開扉されたままの焚き口から火の粉ないし燃えたままの木片などがこぼれ落ち、焚き口から約三〇センチメートル離れた右休憩室の南西角付近に山積みされていた前記古襖、古障子等の桟等に燃え移つたものと認めるのが相当である。

<証拠>によると、ストーブの煙突が多少つまつたり、右休憩室のうち前記作業場との仕切り部分の下側からすきま風が入ることを窺うことはできるが、いずれも、本件火災と直接結びつくとは認め難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四(過失の有無、程度について)

1 前記二において認定した事実に照らすと、前記休憩室内のストーブからわずか約三〇センチメートルの付近に前記のように襖紙や障子紙がついたりしたまま古襖や古障子の桟や骨枠等が山積みされていたのであるから、ストーブの焚き口が開扉している場合には、燃焼中ストーブの火の粉ないし燃えたままの木片などがこぼれ落ち、右の古襖、古障子の桟等に燃え移り、本件建物に火が移る危険性があつたものと認められるところ、右ストーブは、主として、前記作業場内で作業をする者が暖をとるために利用され、しかも、右休憩室は右作業場の一部を仕切ったもので、作業場内で作業する者は容易に右休憩室内を点検しうるものであるから、被告鈴木昇、同横山留雄には、右の危険性を予見し、ストーブの焚き口の扉を確実に閉めるべき注意義務があるものというべく、焚き口が開扉しているのに気付かずこれを放置した右被告両名には過失があるものと認められる。

2 前記二において認定したとおり、本件建物の階下の作業場には土台柱、床柱その他の新建材等の建築資材が大量に入れられており、前記休憩室の外側等に建築資材等がたてかけてあり、二階北側は建築資材置場となつて、ベニヤ板や新建材等の資材が相当量おかれていたのであるから、いつたん休憩室から火が出ると、早急に二階などに火がまわり、本件建物全体にいつきに燃え移り、発煙もはげしく、亡彰等の本件建物居住者らに危害を及ぼす危険性があつたものと認められるところ、本件建物を所有し、被告鈴木昇などをして階下の作業場で下請工事をさせていた被告原正太郎には、右危険性を予見し、本件建物の管理、保存上、右休想室や右作業場に相当程度の機能を有する消火器を備えたりするなど消・防火設備を設け、本件火災の拡大防止につき有効な措置をとるべき注意義務があるものというべく、これを怠つた被告原正太郎には過失があるものと認められる。

ところで、<証拠>によると、被告原正太郎は、本件火災前に、本件建物の二階の便所に消化器一個を備え、六号室に避難用ロープを備付け、また、日ごろ、ストーブのまわりをきれいにしておくなど火気に注意するように従業員等に注意していたことが認められるが、この事実をもつてしても、被告原正太郎が前記注意義務をはたしていたとは言えず、他に前記の同被告に過失があつたとの認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、前記二において認定したとおり、亡彰が居住していた一号室の窓の外側部分にX型の鉄製アングル(筋交い)があり、証人石井寛、同荒木勉の各証言によると、右の鉄製アングル(筋交い)のため、一号室の窓から飛び降りようとする際には多少の障害となつたことが認められるが、亡彰が一号室の窓から飛び降りて脱出しようとしたと認めるに十分な証拠はないから、右の鉄製アングル(筋交い)の存在は、被告原正太郎の注意義務を左右するものではない。

3 「失火ノ責任ニ関スル法律」の但書に規定する「重大ナル過失」とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解されるところ(最高裁判所昭和三二年七月九日判決・民集一一巻七号一二〇三頁参照)、前記二及び右1、2において認定した状況に照らすと、被告らの過失をもつて、右の「重大ナル過失」であるとは認め難く、他に被告らに右の「重大ナル過失」が存在することを認めるに十分な証拠はない。

4  そうすると、被告らに前述したとおりの過失があるものの、不法行為者としての責任を問うことはできないものといわなければならず、被告らに対して不法行為による損害賠償を求める原告両名の第一次請求はその余の当事者の主張について判断するまでもなく理由がないということになる。

五(被告原正太郎の債務不履行について)

1 建物賃貸人は貸借人に対し、賃貸建物につき賃貸目的に従つてその使用に支障のないようにすべきものであり、自己が所有しこれを管理する建物と賃貸建物が一棟の建物となつているときは、自己が所有し管理する建物から火を発するときは、賃貸建物をも焼失せしめるに至ることは十分予見し得られるところであるから、特にかかることのないよう注意をつくすべきであり、その責に帰すべき事由によりかかる結果を生じたときは、賃貸借契約上の債務不履行損害賠償の責を負うべきものと解される。

そして、この理は、建物全体の賃貸借であろうと、建物の一部である居室の賃貸借であろうと、また、本件のようにいわゆる下宿の場合であつても、何ら異なるところはないというべきである。

しかして、前記二において認定したとおり、被告原正太郎は、自己が所有する本件建物の二階東側端六畳間一室(一号室)を亡彰に賃貸したものであり、被告鈴木昇をして自己が所有する本件建物の階下の作業場で自己の材料を使い、自己が設計した住宅建築等の下請工事をさせ、前記休憩室を使用させていたものであるから、被告原正太郎は賃貸人としての注意義務を負うものと認められる。

2  前記休憩室内のストーブの焚き口が開扉しているのに気付かずこれを放置した被告鈴木昇、同横山留雄の両名に過失があることは前記四の1において認定したとおりであり、前記二において認定した事実に照らすと、被告原正太郎は被告鈴木昇、同横山留雄の作業や前記休憩室内の状況につき指示、監督しうる立場にあつたものというべく、また、桟等が投げ入れられていることは休憩窒の窓から数本の棒状のものをみてこれを知つていたというのであり、<証拠>によると、同被告は一日に一回位の割合で前記作業場に出入りしていたことが認められるのであるから、被告原正太郎は被告鈴木昇、同横山留雄を指示、監督し、前記過失に至らないようにすべきであつたのにこれを怠つたものというべく、また、前記四の2において認定したとおり、被告原正太郎には、本件建物の管理、保存上、消・防火設備を設け、本件火災の拡大防止につき有効な措置をとるべき注意義務を怠つた過失がある。

3 以上のとおりであるから、被告原正太郎は、本件火災の結果について賃貸借契約上の債務不履行として損害賠償の責を負うべきである(なお、本件のような債務不履行による損害賠償については「失火ノ責任ニ関スル法律」の適用はないものと解される。)。

六(過失相殺の抗弁について)

1  <証拠>によると、昭和四九年二月二六日ないし同月二七日に、通学先の山形大学工学部の学年末試験が終了したので、同月二七日の夕食後、亡彰及び訴外石井寛の両名は、下宿人らの帰郷に際して同月二八日に下宿人らの離散会を行うことを打合せたが、その際、亡彰は、右訴外人に対して、「製図の課題を与えられているので今日中に仕上げる。」旨を述べ、また、同月二七日午後一一時三〇分ころ、電気ポットに水を入れるべく前記一号室から出た亡彰は、そこで出会った訴外荒木勉に対して、「レポートを書かなければならない。」旨を述べたことが認められるところ、被告原正太郎は、その本人尋問において、「亡彰は、試験が終つて皆で一杯やろうということになって飲酒したということを聞いている。」との趣旨の供述をするが、同供述は、誰から聞いたのか明らかにされていないし、右認定事実に照らして信用することはできず、他に本件事故当時亡彰が酒気を帯びていたことを認めるに足りる証拠はない。

2 前記二において認定した事実及び<証拠>を総合すると、亡彰は、本件火災発生時には、就寝していたものと推認され、また、亡彰が、本件火災直後、シャツのまま、一号室の窓から姿を見せ、上着様のものを着ようとしているかつこうであり、本件火災に気付いたものと認められることは前記二において認定したとおりであるが、これらのことをもつて直ちに本件事故発生についての亡彰の過失ということはできず、他に亡彰の過失を認めるに十分な証拠はない。

3  以上のとおりであて、過失相殺の抗弁は理由がない。<以下、省略>

(豊田健)

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